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日本平桜マラソン
ふくらはぎの筋肉痛がヒドすぎる
。
・・・というわけで今回のレースは超過酷アップ
ダウン
ありありの大会。以前の参加は7年前。初めて走ったホノルルマラソンの後よくわからなかったので参加した地元大会。これ初心者にはかなりキツイ
大会なのですが、当時よく走ったよねって思います。関門に毎回迫られながらなんとか根性でギリギリゴールした大会を昨日のように思い出します。
あのとき
「お姉さん頑張って!」と初めて私への応援をしてもらい、
「選手が通ります。」と言って私のために車を止めてくれた警察の方にすごく感動したことがその後マラソンを続けることに繋がったかもしれないという思い出の大会でもありました。でもまあこれは地元びいきということもあります。
すでに31回を数えるこの大会は昔ながらで、開会式では来賓のあいさつもあるし、選手宣誓もある。でもそれがとても真面目でいい大会だなって思いました。地元びいきですけどね。
今回はあいにくの雨
。桜
はどうだろうって心配しましたがまだ少し残っていました。本来なら見える絶景、富士山が見えなかったのは残念でしたがこの大会の醍醐味はなんといっても日本平ホテルまで続くアップダウンとどう向き合うか(笑)です。私の記憶ではアップばかりと思っていたら結構ダウンもあり、前半から脚にかなりの負担がかかります。ていうかこれを頂上まで走り抜けた人ってそれだけですごいって自分も含めて思います。トレランじゃないかと思ってしまうくらいです。日本平ホテルの頂上付近のコースが当時とは変わっていてさらにアップみたいになっていたような。。。でも我ながらよくのぼりきって、そして我ながらまだ余裕
がありました
。横浜マラソンからさっぱり練習してない割にはすごいじゃんなどと思いつつマイペースで走っていたら「もうちょっと頑張って~。じゃないと関門で切られちゃうよ~。」などという不吉な応援が。。。そういえば関門って何分だっけ・・・。
この大会、昔ながらということは走り慣れている人ようにつくられているので関門と制限時間が厳しい気がします。静岡県民の間ではマラソンブームが到来していないようで、出場選手は陸上部、元陸上経験者みたいな。。。なので以前の駿府マラソンも確かハーフマラソンで制限時間は2時間ジャストだったと思います。この大会は23.5キロというハーフより少し長い距離でしかもあのアップダウンであるのに制限時間は2時間30分です。その間に関門が何箇所かあり容赦なく切られてしまいます。
当時は日本平頂上の関門にひっかからないように必死で登って、そこまではよかったけれどその後余裕がなく、ヘロヘロでなんとか歩きながら、本当に根性でギリギリゴールした記憶があります。今回は余力を残して登ったけれど、ちょっと遅かったかもしれません。頂上からはひたすら下りなのですが、これが意外に長く脚にガンガン響きます。でも関門が気になったので少しとばして行きました。最近は脚にくることってあまりなかったのですけど、股関節に違和感を感じました。
とはいえ、3月にフルマラソンを2回も走ったせいかその半分と思うとかなり短く感じます。前半上りでペースが遅かったせいか後半は余裕がありました。当時ヘロヘロで歩いた道をガツ
ガツ
と走りぬきました。おまけに残り5キロくらいのところで女性ランナー
と一騎打ち、デッドヒート
が繰り広げられました(
と勝手に私が思っている。)。
抜きつ抜かれつ、勝負は最後の競技場のところまでもつれました。振り切ったと思う私のとなりに彼女の影
が。ここは負けられません。負けず嫌いとかそういうことではなくて、こういう場面で負けてはいけないといつも思うのです。ここで負けたら仕事だって他のプライベートだって肝心なところで誰かにもっていかれる。ここぞというところで勝てる人でなければいつだってチャンスはつかめません。
譲れない、譲らない。もう死に物狂い
で走りました。「
どいて
、どいて
。」得意のラストスパート
です。ゴール直前で友達が「ズッキイがんばれ」って応援してくれました。私はそれどころじゃなくてゴールめがけて飛び込みました。後で友人曰く「最後でみんなダラダラ走ってるなかでズッキイだけ普通に走ってきたからびっくりしたよ。」って。そりゃあ、この勝負私の人生かかってたんだから当然です。振り切った~
。と自己満足。記録は当時よりはいいけれど今回もギリギリといえばギリギリです。でもこの過酷なコースを完走したんだからいいじゃないですか。
夕方テレビでマラソンの放映
があり、家族で見てみました。先頭の選手がやはりデッドヒートを繰り広げていたので、
私も実はという話をしたら母から
「あんたのそんな後ろの方のなんて全然映ってないじゃん。」と。。。いいんです。映ってなくても確かにデッドヒートはあったんだから、そして私は勝ったんだから。
久々に実家に帰る途中で見えた山々にそしてこんな近くにある自然にとても癒される気がしました。最近眼は痙攣するし、右手はどうも腱鞘炎だし、疲れているみたいで、余計にそんな風に感じました。私は東京丸の内のビルを見るたびこの建物郡
っていいなって感じるほど都会が好きです。けれど周りを見渡してもつくられた緑しかなくて、人だらけで、そういう生活もどうなのかと少し考えてしまいました。
4月から農業を学んで将来に備えたいと思います。(マジです
。)
というわけで、日本平桜マラソン、根性がある方はぜひ。天気がよければ最高の富士山も見えるはずです。

・・・というわけで今回のレースは超過酷アップ



あのとき



すでに31回を数えるこの大会は昔ながらで、開会式では来賓のあいさつもあるし、選手宣誓もある。でもそれがとても真面目でいい大会だなって思いました。地元びいきですけどね。
今回はあいにくの雨




この大会、昔ながらということは走り慣れている人ようにつくられているので関門と制限時間が厳しい気がします。静岡県民の間ではマラソンブームが到来していないようで、出場選手は陸上部、元陸上経験者みたいな。。。なので以前の駿府マラソンも確かハーフマラソンで制限時間は2時間ジャストだったと思います。この大会は23.5キロというハーフより少し長い距離でしかもあのアップダウンであるのに制限時間は2時間30分です。その間に関門が何箇所かあり容赦なく切られてしまいます。
当時は日本平頂上の関門にひっかからないように必死で登って、そこまではよかったけれどその後余裕がなく、ヘロヘロでなんとか歩きながら、本当に根性でギリギリゴールした記憶があります。今回は余力を残して登ったけれど、ちょっと遅かったかもしれません。頂上からはひたすら下りなのですが、これが意外に長く脚にガンガン響きます。でも関門が気になったので少しとばして行きました。最近は脚にくることってあまりなかったのですけど、股関節に違和感を感じました。
とはいえ、3月にフルマラソンを2回も走ったせいかその半分と思うとかなり短く感じます。前半上りでペースが遅かったせいか後半は余裕がありました。当時ヘロヘロで歩いた道をガツ





抜きつ抜かれつ、勝負は最後の競技場のところまでもつれました。振り切ったと思う私のとなりに彼女の影

譲れない、譲らない。もう死に物狂い






夕方テレビでマラソンの放映



久々に実家に帰る途中で見えた山々にそしてこんな近くにある自然にとても癒される気がしました。最近眼は痙攣するし、右手はどうも腱鞘炎だし、疲れているみたいで、余計にそんな風に感じました。私は東京丸の内のビルを見るたびこの建物郡

4月から農業を学んで将来に備えたいと思います。(マジです

というわけで、日本平桜マラソン、根性がある方はぜひ。天気がよければ最高の富士山も見えるはずです。
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